老いて踊れ ─「鸚鵡小町」と「檜垣」について─
「鸚鵡」のほうが、絢爛としてますね。その絢爛な緞帳からは、生の腐臭さえ漂うのですが…。
ワキの設定ひとつ取ってみても、「鸚鵡」は「檜垣」よりも舞台の陣立てが豪華です。どう豪華なのか。「檜垣」のワキは、肥前の岩戸に住むお坊さんです。位も何もあったものではありません。鄙の地で、修行三昧に励む質実な山の僧、といったところでしょうか。
それに比べて「鸚鵡」では、陽成院の宣旨を携えて新大納言が都から派遣されてくる、という大変なものです。一般人なら恐縮する所ですが、かつて和歌の才と美貌で名声をほしいままにした小町の肝は据わっています。勅使たる新大納言に向かって、「自分は老眼だから、かわりに読み上げてくれ」と、のたまうのですから。その後の小町の対応を読み込んでゆくと、どうやらこれは、真実ふけ込んでしまった老女のお願いというよりも、他人を厳しく見下す才女の老獪な挑発、という方があたっています。
「鸚鵡」の小町は自分の才気にまだ自信をもっています。老いを従容と受け入れることは出来ない、生の途上にいるわけです。そんなことはつゆ知らない帝は、小町に憐れみの歌を下しています。
「雲の上はありし昔にかはらねど 見し玉だれの内やゆかしき」と。
「あなたがかつていらっしゃた朝廷は昔と変わりません、この御簾の内がお懐かしいでしょうか」年老いた往年の朝廷アイドルに、ねぎらいの言葉でもかけたような感覚です。その歌に対して、「内やゆかしき」のただ一字「や」を「ぞ」にすり替えて返歌にしてしまう女というものは、どんなものなのでしょう。帝の憐れみなど必要ない!との矜持もあるでしょうが、若い頃の美貌・才気への記憶から逃れられぬ妄執が、生々しく透けて見えるようです。
そう、この小町の返歌はどこかスマートでない。言ってしまえば“えげつない”ものです。本来の小町であったならば、そんな返歌をしただろうか。面前でそのような返歌を受け取ったワキ・新大納言も、鼻白むものがあったのではないでしょうか。そんなどっきり場面があるからこそ、その後の小町の若さを振り返る苦しみもいや増すのです。己が凛たる才気を示すはずの返歌は、かえって若さを取り返そうとする年老いた女の無残な姿の刻印となるのです。「今憔悴と落ちぶれて…」
「鸚鵡」の小町は設定では百歳。しかし、若さ/生への執着から逃れられず、老い/死を受け入れられない小町の姿は、老女というより中年女性の感度に近いのではないか(この曲が老女物に括られながら、中年の役者の演技に耐えうるのはこのためかもしれません)。これは、「檜垣」のシテと比べるとはっきりします。
「檜垣」の前シテ・老女(実は幽霊なのでしょうが)は毎朝仏に水を捧げています。この老女はすでに死と親しい存在として登場します。栄耀栄華といった価値とは決別した存在。が、僧とのやりとりから、この老女は生前大宰府で庵に檜垣をしつらえ住んでいた白拍子だと判ります。「鸚鵡」が京都の文化コードを共有した世界であるのに対し、「檜垣」は九州が舞台。この二曲を比べるとき、少し注意してもよいことでしょう。
同じ女という性ながら、「檜垣」は地方の白拍子。「鸚鵡」は都の上流才媛。このコントラストも興味深い。白拍子とは、女としての華と罪が、ないまぜになった存在です。罪とは、生活を己で立てなければならないのっぴきならぬ現場で発生する何かなのでしょう。小町はそうではありません。地方から集約される財をベースにすることで、宮廷サロンを跳びはなやぐことだけに特化したような生き物(いわゆる平安上流貴族)からは、生活感が欠落してしまいます。売春婦としての生業もあった白拍子には、稼いで生きる筋金が必要だったでしょう。その苦しみは、救いとして仏教を希求します。
小町と比べては、無名性に埋もれて可哀そうなくらいの「檜垣」の女。しかし唯一といっていい華やいだ思い出が語られます。当時筑前守だったという藤原興範との出会いがそれです。これは後場で舞の導入にも引かれる大事な要素ですが、「鸚鵡」が舞の導入部で貴族のスーパースター・在原業平を出してくるのに比べて、なんというつつましさでしょう。
ちなみに「鸚鵡」ではワキが、「いかに小町。業平玉津島にての法楽の舞をまなび候へ」と小町に舞を促します。若さ/華やぎといった価値を失ったはずの小町に、よりによって平安貴族中「体貌閑麗」と評された美男の代名詞・業平のまねをさせるとは…。なんたる絢爛さ加減!作者の意図は小町を曝すことかと勘繰りたくもなってしまいます。が、それでこそ「鸚鵡」の小町は今一度戻らぬ時を愛惜することが出来るのです。「かほどに早き光の陰の、時人を待たぬ習ひとは白波の、あら恋しの昔やな……」
では、「檜垣」の舞とは何か。後シテの「老少といっぱ分別なし。変わるをもって期とせり」との言葉からは、「檜垣」の女が、若さ/老いとうパラメーターを振り切った存在であることが読み取れます。「檜垣」のシテはどこか清浄です。きれいに老衰した死体のように。しかし、生物としては抜け殻になった存在が、興範と二重写しになったワキに促されて、今ひとたび、最後のきらめきを見せるのがその舞です。舞に至るその詞章は、我々が時に生活の現場で垣間見る老女の童女性をうまく取り出しています。老女の童女性とは、奇妙な言葉かもしれません。我々は童という存在を、あらゆる生の可能性の塊として受け取っています。喜びも悲しみも、これから思う存分味わえる存在への羨望。その視線は童子童女を神聖な存在にさえ変貌させます。しかし老女の童女性とは、全てが終わったと認識した存在が、その先に見せる遊び、あらゆる可能性が尽きた先に生まれる可能性、とでも言ったらよいでしょうか。「檜垣」の詞章を見てみましょう。
…昔手慣れし舞なれば、舞はでも今は適ふまじと、興範しきりに宣へば、浅ましながら麻の袖、露うち払ひ舞ひ出だす、檜垣の女の、身の果てを。
「身の果て」とはまさに、我々が終わったと感じる地平からの、愉快なステップから始まるのに違いない。「檜垣」という能は、そのような和やかな可能性(果みのり)さえも我々に見せようとしているのではないでしょうか。
(おうでん・きいち いち観客)
〔『橘香』平成18年9月号所収〕