血を見ること
十世紀ごろ、一首の歌が都から陸奥の国に投げ飛ばされました。その歌意はわりにあっさりしており、都人の機知さえ感じさせるものでした。歌い手は、平兼盛。平安中期の歌人と言います。
みちのくの安達ヶ原の黒塚に鬼こもれりと聞くはまことか
この歌の「鬼」は、ある「女」を指しているものらしく、どこか、陸奥のおんな友達へ…というような気安さが感じられます。
みちのく、とは、都人にとって、どれほどの憧れをもって見られた土地なのでしょうか。
安達が原、白河、塩竃、信夫、能の言葉の中に生きる東北の歌枕の数を考えると、それは並大抵のものではなかったでしょう。中央で名をなした貴族で、実際に陸奥まで下った人がどれだけいたか、私には分かりません。平泉は京都についで栄えた都市と聞けば、交易のため行き交いした商人も多かったでしょう。度重なる戦役で、征夷大将軍に付き従い、その地で果てた兵士たち。それらの霊を鎮めるための仏教者、そして能〈安達原〉のワキ祐慶のように、自らの厳しい修行のために陸奥を選んだ者も。
陸奥にもともと住んでいた人々は、どこからやって来たのでしょうか。北からか、南からか、その地を切り開いた誇りは、確実に受け継がれていたでしょう。都人の陸奥への憧憬は、陸奥というフロンティアを開拓した異族としての地下民を、自らもどこかから近畿を拓いて生きてきた都人自身のルーツへと重ね合わせる視線だったのかもしれません。
東国のもてなしは無尽蔵だ、と聞いたことがあります。かつての奥州藤原氏の都への貢物が驚くほどの量であったことに通じるものがあるでしょうか。文化の成熟を知ってしまった老いたる文明圏「陸奥」が、鼻息荒い「都」へ、お小遣いをやっているようなものでしょうか。やがて狡猾な「都」に、呑み込まれてしまうでしょうか。
先の歌の返歌を、私は能〈安達原〉と見ます。女は、都人に、かつてわれわれが、ともに、鬼であったことを開示します。そして今もまた、われわれは鬼であり続けているということを。
アイである能力が、女の〈見るな〉を〈見るべし〉と受け取ったことは、彼個人の人間性だけに求められるものではなく、どこかで、大和の人々が、陸奥、いや大地の底の、血で浸された姿を見なければならないと感じていたことによるのでしょう。兼盛の歌は、その予感を、投げかけるものだったはずです。
後場の鬼の華やかさ。血で彩ったような鮮やかさ。どこか大地への鎮魂歌であるような大きな能を見たく思います。
2007/12/6 響の会 第32回研究公演 パンフレット所収