「法一おじさん」
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おれのことは、秋月くんと、おじさんは呼ぶ。
「はじめて会うとは、思えないな。何度も話で聞いているから」
「誰に聞いたの」
「君の母さんと、君のおじさんさ」
おれのおじさんのことは、秋月と、法一おじさんは呼んでいる。
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おれのおじさんと法一おじさんは、中学と高校が同じで、当時からの親友らしい。
私立の学校で、中高の六年間の一貫教育だったという。
おれは私立の学校がどんなものなのか知らないし、親友がいたこともない。
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いや、いたと言えるかもしれない。小学校で一緒だった、唯一だ。
あいつは、おじさんたちが通っていた学校に行っている。
おれは受験もしていない。
家に、そんな余裕があるとは、思えなかった。
中学生になってからは、会っていないな。
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いや、一度だけ見たことは、ある。
今年の二月だっただろう。
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雪の日だった。
唯一は、ブランコに乗っていた。
おれの知らない女の子と。
その二人は「絵になる」とおれは思ったから、その日家に帰ってすぐに描き上げて、郵便で唯一に送っておいた。
お礼の手紙が来たけれども、会いはしなかった。
あの女の子が誰かも、知らない。
まあまあ、といったくらいの出来の絵だった。
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おれの絵は、まだ絵には、なっていない。
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会うたびに、この人は絵になると感じさせるのが、法一おじさんだ。
いままで何枚描いただろう。
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あの人たちは双子じゃないかと、思うことがある。
おれのおじさんと、法一おじさん。
顔が似ているわけでもないし、やっていることもまったく違う。
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それなのに似ていると思ってしまうということは、おれが見ているのは、姿形では、ないということか。
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じゃあ、何なのか。
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おれは思い出す。
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こんな絵を描いたことがある。
法一おじさんの肩に背負われた自分の絵。
それからおれが描く絵のうちの何分の一かには、おれ自身が描き込まれるようになった。描き込まない場合でも、鳥にでもなったかのように、たとえば空から自分を見ている。
歩いているときには、自分のまたの下をくぐる小鳥になったような気がすることもある。
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どうして、おれが背負われていたのか。
母さんの店、「ガーデン」に行っていた。
五年くらい前だろうか。
お正月で、常連のお客さんばかり集めて、新年のお祝いをやっていた。
誰だったかにお酒を飲まされたおれは、横になったまま、眠り込んでしまっていた。
それを家まで連れて帰ってくれたのが、法一おじさんだった。
はじめて会ったのがいつだったかは、忘れてしまった。
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母さんと法一おじさんとは、長い知り合いだ。
母さんの弟つまりおれのおじさんと、法一おじさんが中学生の頃以来の。
だから母さんと法一おじさんとは、「いろんなことを知っている」仲だという。
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「いろんなこと」って絵になるだろうか。
抽象画かもな。そういうものを描けるほど、まだおれの腕は上がってはいない。
毎日描くたびに、昨日やおととい描いたものが不満に思える。
ということは、少しずつでも上達しているということなのか。
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いまの法一おじさんは、お酒も煙草もほとんどやらないと言っている。
ごくたまに、一年にいちどくらいだけ、他人と一緒にいるときにやるだけらしい。
なんのためかと、聞いたことがある。
「人生にメリハリをつけるため」だと、言っていた。
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いまはそうでも、もう七年も経ってしまったがあのころは、お酒も煙草も、おじさんにとっての大問題で、一週間もそれを断つと、苦しくて仕方なかったという。
あまりにも苦しいので、しばらく断食したそうだ。
そうやって、つらさをまぎらわせたらしい。むちゃな人だな。
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エピソード三つで、人というのはわかるものだ」と、法一おじさんは、よく言っている。あと二つ、挙げてみよう。
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ガールフレンドとタクシーに乗っているときに、口喧嘩をした。
痴話喧嘩というのかな。
そして女性が降りるときに、軽く蹴り飛ばす真似をした。
するとそれをたまたま見ていた知り合いがいて、噂になった。
噂では「動いているタクシーの中から、女性を蹴り出した」ということになっていたという。これは、そういう人だと、他人から思われているということだろう。
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もうひとつは、法一おじさんが自分で言っていた話だ。小学生のころ、自転車に乗っていて、右にまがるとき、転んでしまい、前歯が一本、取れてしまった。
おじさんはあわてもしないで、その歯をもとの場所にくっつけた。
すると簡単についてしまって、次の日の朝には、すっかり元通りになっていたという。
この話は、こどものころからおじさんが落ち着きを保っていたことを意味しているのだろう。
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いまの三つの話によって、おじさんがどういう人だか、わかっただろうか。
第四回「唯一」
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この文章を書いているのは、普通の紙だ。
普通というのは、どこにでも売っているということ。
どこにも売っていない紙を、おれは一枚だけ、持っている。
唯一に、いつかもらった。
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なんという紙だろう。
なにか書いても、絵を描いても、次の日の朝目覚めると、消えてしまっているのだ。
なにかのお礼にと言って、唯一がおれにくれたのだけれど、なにに対するお礼だったのか、思い出せない。
そんなことは、忘れていいのだ。
逆に、なにかを人にしてもらったら、それはいつまでも覚えていたい。
お礼ができるかどうかはわからないけれど。
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描いたものが消えてしまうと悲しいので、その紙は、おれはめったに使わない。
唯一のように、たくさん持っていればと思うことがある。
そうすれば、毎日いろんな絵が描けて、一枚くらいは、消えずに残るかもしれない。
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ほかにも、あいつをうらやましいと、思ってしまうことがある。
両親が、ちゃんとそろった家がある。
だいたいのひとは、そうだろうけど。あと、雪の日に見た、あいつの恋人らしき女の子。ああ、そういえば、あの子が着ていたコートは、赤くにじんで見えたな。
必ずしも、おれには色がわからないわけではないのか。
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唯一とは、銭湯に行ったことがある。
うちの風呂は小さいので、たまにおれは行くのだが、あいつは初めてだったらしい。
おれはすぐにからだを洗い終わって、脱衣所に戻り、ずっとテレビを見ていた。
家で見ないので、コマーシャルなど、絵になっているかどうか、確かめてみたくなるのだ。だいたいがっかりするのだが。
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ずいぶん待ったころ、あがってきた唯一は、言った。
「きみはカラスの行水だなあ」
「なんだい、それは」
「短い時間で、からだを洗い終わることさ」
「いろんな言葉を、よく知ってるよな。おまえは銭湯が珍しいんだろうけど、おれはテレビが珍しいのさ」
「ははは。はじめて来たけど、失望したなあ」
「なにに」
「壁のペンキ絵が、富士山じゃないことさ」
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あのころはまだあいつには、おれが絵を描いていることは、言っていなかった。
雪の日のあいつらを描いた絵をあげたときに、初めて知ったのではないか。
唯一は詩人になりたいらしいと、だれか女の子が、言っていた。
たぶん雪の日に一緒にいた恋人だろう女の子に唯一がそう言って、それが伝わったのだろう。
男よりも女のほうに、そういうことは、言うものなのか。
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「なりたい」じゃなくて、なればいいだけの話じゃないか。
だれも認めなくても、毎日詩を書いていれば、詩人だ。
毎日少しずつでも書けないようなら、やめたほうがいい。
そういうことをあいつに言うほど、おれは親切ではないけれども。おれは黙って、日々描くだけだ。
第五回「おれのおじさん」
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いまになってよくおもいだす、おれのおじさんとの出来事を、書いておこう。
おじさんのことは、書いておきたい。
七年前、1994年の秋、おれが7歳のころの話だ。
地震の前の、おれの最後の思い出だ。たぶん法一おじさんが、この子も連れていったらどうだと、提案したのだったろう。
子犬のように、おれはおじさんについて歩いた。
おれはただ、見ていただけだ。
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いつものことだ。
おれはいつも、ただ見ているのだ。
学校の授業中でも、おれはただ、見ているだけだ。
黒板を、先生を、ほかの生徒を、窓のそとを、同時に見ている。
だけどその方が、黒板に書かれた言葉を、しっかり覚えていたりするのだ。
だからおれは、成績は、悪くない。
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先生はそれが気に入らないらしく、「君、聞いているのか」と、怒鳴りつけられたことがある。
おれはすぐさま、答えてしまった。
「聞いていません」先生は、本気で怒った。
「じゃあ、なにをしているんだ」
「見ているだけです」
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おれのおじさんの話に戻ろう。
おじさんがなにをしに来ていたのか、当時のおれが理解していたとは、思えない。
見ていたことを、いま思い出して、組み立て直しているのだろう。
東京から一緒に戻って来ていた法一おじさんが、「ちゃんと見ていてやってくれよ」と言っていたのは記憶しているけど、その言葉が、おれに対して言われたものか、おれのおじさんに言われたものかも、わからない。
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おれはただ、ついて歩いた。
小さいころにおじさんに、おんぶしてもらったこともあったっけ。
墓参りの帰りだったか。
じいさんとばあさんの家に着いてから、「二回しかおんぶしてくれなかった」と言ったら、「二回も、だろう」と、笑って言った。
いま思えば、たしかに「しか」ではなくて「も」だな。
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なにをするわけではないけど、おじさんといっしょにいるのが、おれは好きだった。
なにか話しかけても「ふーん」と答えられることが多かったけど、そのほうが、気が楽だった。
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七年前のそのときはおじさんは東京から帰って来ていて、じいさんとばあさんの家にいた。おれと母さんも、電車で一時間かかる神戸から、戻ってきていた。
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おじさんがどこに行くつもりなのか、おれにはちっともわからなかった。
ただ見ていただけだけれども、「絵にならん」という口癖は、まだなかったかもしれないな。
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おれはただ、ついて歩いた。
秋の終わりで寒かったけれど、寒くても全然平気だ、そのころから。
「寒さ」という「自然」に触れられるからだ。
それは「もの」である気さえする。
ただし、まだ、絵にはならない。いまのおれの力では、まだ。
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「寒いなんて言ってる場合じゃ、ないんだよなあ」と、歩きながらおじさんが言った。
朝の9時だった。
どこに向かっているのか。
「電車に乗って、神戸に行くぞ」もちろんおれの家には行かない。
京阪電車からJRに乗り換えた。
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神戸に着くと、駅前の中華料理屋に入った。
あのころは、中華料理の店だった。
今は違うのだ。餃子専門の店になっている。
地震で店がつぶれたあとに、少ない元手で始めるために、餃子だけを売り始めたら、かえって前より、客が増えたのではないか。
おれが見たところ。
餃子の絵も、何枚も描いたことがある。
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餃子の匂いは、絵で描くことが、できるだろうか。
滝の絵ばかり描く画家がいるけれど、餃子だけを描くなんていう人は、いるだろうか。
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なにか一つだけのものを、何千枚も描き続けるというのは、どうだろう。
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あのときのおじさんは、黙々と、中華丼を食べていた。
「腹が減っては戦はできん、だからなあ」
戦って、なんだろう。
「仕事を見つけるのさ」
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「仕事って。おじさん漫画家なんじゃない」
「そうだけどさ」
「やめるの」
「やめないよ」
「じゃあ、どうするの」
七歳のおれは、考えた。
「休むの」
おじさんは、答えなかった。
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港の方に向かって、歩いた。
少しだけ、潮の香りがした。
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あたりまえすぎて、いつもは感じもしないけど、おれたちは若いじゃないかと、思ってしまった。
おじさんは26歳だったか。
そこは、中年のおじさん、おばさんか、お年寄りしかいないという感じだった。
いったいなにをしているのだろう。
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おれの考えに気づいたのか、「ここはさ、仕事を探すところだよ」
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おじさんが紙になにかを書き込んでいるあいだ、おれはその建物のなかをぶらついた。
エスカレーターの前で、ぼんやりと考えこんでいる、白髪まじりのおじさんがいた。
しばらくおれは見ていたけれども、エスカレーターのドアが三回開いたのに、気づいてもいないようだった。
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いま思えば、あれを「途方にくれる」というのだろう。
奥さんや子どもがいて、家のローンが残っていたりするのに、職を失っていたのではないか。
七歳のおれが、どこまでわかっていたか、知らないが。
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中学を出て、どこかで働くようになれば、いろんなことで、途方に暮れることがあるかも知れないな。
あと一年少しは、中学生という身分で、いちおう安定していられるのだ。
くそったれ。
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「仕事を探すって、漫画の仕事なんて、あるの」
七歳のおれが尋ねた。
おじさんが用をすませたあと、神戸の街を散歩していた。
「漫画の仕事は、あそこには、あるわけないさ」
おじさんは苦笑いをしていた。
「だけど、なにかする必要がある」
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「いまの君は、なにもしなくていいんだよ。勉強もしなくて、いいよ。」
「勉強するのは、嫌いじゃないけど。」
「なにもする必要がなくて、いるだけでいいのは、赤ん坊だけか。だけどいまは、ここにいるだけでいい。ひとりじゃ、ちょっとつらいんだ。」
おれには、おじさんがなにを言っているのか、よくつかめなかった。
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「あなたは、生きているだけでいいのよ」
母さんは、父さんがいなくなったあと、おれに向かって、たまに言うけれど。