記憶とはどこに宿るものか。脳というのが普通だろうが、かつて秋月は、それが髪の毛だという漫画を描いていたことがある。それに対して法一は、指こそにそれは宿ると言い、戯れに、指主義者であるなどと自称していた。それを聞くと秋月は、おれは右手で描きながら、左手では女性の体をいじくっていたことがあるなあ、執筆中、左手が手持ち無沙汰で困るんだなどと言っていた。指主義ってのは独身主義のことか。いや、なんでだい。自分の指で片付けるってことじゃないのか。ははは。そう言えば二人とも、独身のままで生きて来た。法一の場合、生活が不安定だからと理由づけられなくはない。秋月の場合、少なくとも、金には不自由はしないはずだ。何か訳でもあるのかいと尋ねたところ、いやあ、俺は預言者のつもりだからなあ、と答えた。冗談かと思い、その時は聞き流してしまった。後で悔いることになる。その時の秋月は、こんなことを言っていた。酒をやめるのは簡単だ、俺は何度でもやっている、っていう古典的なジョークがあるじゃないか。ああ、あるね。そんな感じでさ、女を忘れるのは簡単だ、俺は何回でも忘れている、ってのはどうだい。ははは、その女ってのは女一般のことか、ある一人の女のことか、どっちだい。どっちだろうなあ。なんだ、自分でもわかってないのか。秋月はしばらく黙った。それからこう言った。女と別れるのは簡単だ、俺は何回でも別れている。法一は合いの手を入れる。その場合はどっちだい。これは、ある一人のことだ。君に会わせたことなかったっけ。ないよ。なんで、そう言い切れるんだ。だって、お前の女友達には、会ったことないよ。そうだったかなあ。話題にもしたことなかったっけ。そのひと、何て名前だい。指切さんって言うんだよ。それは初めて聞く名前だなあ、一度聞いたら、忘れないだろう。秋月は話を変えた。幕末だったかに佐久間象山っていたじゃないか。うん、よく知らんけどさ。あの人は自分を偉大だと信じ込んでいてさ、ひとつでも多く自分の種を残そうという気構えで、女性と事に及んでいたらしい。自分の遺伝子を残すことが、世界のために、なるってさ。法一は思う。種を残すことなんて、考えたこと、なかったなあ。それ以前に、何かを残すことなんて。秋月は、言う。死ぬ時のことを思うとさ、何かを残していかねばと、いてもたってもいられなくなる。だから俺は、漫画を描いて、残そうとしているんだろう。逆にさあ、描くために死について思ったりもすることあるかい。法一が問うと、秋月はきっぱりと答えた。そういうことは、まったく、ない。何かのためということはなく、死のことは常に頭にある。へえ、それは感心だね。法一の、これは、空言だった。意味のない言葉にこそ、意味がある。法一はよくそう思う。ひとりでいるときによく呟く言葉を思い出してみる。自覚していない言葉もいくつもあるのだろうが、それは当然、思いだせないのであった。えへえへえへ。うひょひょひょひょ。ぐわがらごっぎゃん。ひゃっひゃっひゃっ。もちろん他人を前にした場合には、文章らしきものにするのだ。それは感心。だけどさあ。ローマ時代だったかの刑罰に何かにてるなあ。犯罪者にさ、死体をくくりつけたっていうんだね。死の毒によって、罰を与えるというんだね。秋月は尋ねる。
どういう罪に対しての罰だったのかなあ。だけど俺には、意味がないだろう。死が毒だとは思っちゃいないし。俺は法眼の開いた男だからなあ。法一は知らなかった。何だい、それは。法っていうのは、法一の法か。そうだ。芸術的・道義的認識力を、法眼と呼ぶ。へえ、それはいいことを教わった。するとだねと、秋月は続ける。そういう存在であるところの俺には見えてしまうのだ。何が。いろいろなことが。いろいろなことって何さ。お前はさあ、寝る時間って、いつも同じかい。いや、まったくと、法一は答える。日毎に違うという感じだね。そういうやつには、見えないだろう。何が。眠りと死とは、同じなんだ。規則正しく、寝たり起きたりしておかないと、いけないよ。なんでだい、それは。死をてなづけるためさ、飼いならすと言ってもいいが。死っていうのは、動物かい。ああ、似ているね。そうなのかなあ、やっぱり俺には見えないよ。秋月は言う。朝日のあたる部屋で目を覚まし、そのたびに俺は生まれているのだ。見るものすべてに注意を注ぎ、一秒の万分の一でさえ、気を散らさないことを、目指すのだ。そして夜ごとに、こう思う。死ぬことなんて簡単だ、俺は何回でも、やっている。