すべての母たる男たちへ
よくモノを見ていた子ではなかったのかな。
隅田の宿近く、旅の者も多かったでしょう。「都の人の足手影もなつかしう候へば」人商人に捨てられ、路傍に横たわり、往来を息もたえだえ見つめていたか。死の近づきを感じながら、ときに往来人の賑やかさに、その都帰りの言葉の華やぎに、故郷の息吹感じ、遠くなる意識の底で、もしや母御に逢えぬかと…。
隅田川、健全たる叛骨に満ちた能であります。第一、難しい言葉がない。後半に至ってはただただ「南無阿弥陀仏」です。本説?存じ上げません。東下りの業平もこの女も、曇りなき「恋」の一点において対等なのであって、劇の主役として、いや、この大地にうごめく一生命体として、資格十分、荘厳に生きてあるのです。
わが子見つけん、文句の出ようのない使命を帯びて、きりりと締まる船上の母。渡守の話をどこふく風と聞いたでしょうか。が、その言葉、マクベスの魔女さながら、質の悪い生き物のように女を取り巻いてゆきます。「三月十五目」「北白河」「吉田某」「父には後れ母ばかりに添ひ」磨かれた歌語でも有難い妙文でもありません。日常の、ありふれた言葉がどうしようもなく磁場をもってしまう瞬間、聞くものの感覚がそれこそねじれてしまうようなときめきを、元雅は能の時間に仕立てます。
住田の宿、心根優しき人の宅にて息を引き取ったか。泣き叫んだりはしなかったでしょう。子の遺言、「この道の辺に築き籠めて、しるしに柳を植ゑて賜はれ」と「おとなしやかに」申します。子が泣かぬ分母が泣く、作者の勁いたくらみでもあるでしょう。『申楽談義』を引きます。
すみだ河の能に、うちにて、子もなくて殊更面白かるべし。此能はあらはれたる子にてはなし、亡者也。ことさら其本意をたよりにてすべし、と世子申されけるに、元雅は、えすまじきよし申さる。かやうのことは、して見てよきにつくべし。せずは善悪定めがたし。
この問答、能・隅田川の表現の新しさに感づいたのは、父・世阿弥の方だったでしょうか。「子方なしではありえない」と強弁する元雅、父親に虚をつかれ、子を描きながら稚児の美と訣別する表現の新しさに一瞬怯んだのかもしれません。それとも、子を出ださずして子を描く、そんな表現への欲求は世阿弥にとっては(憧れのように)強くとも、元雅にはどうでもよいことだったのかもしれません。古きと新しきと、それらが明滅しあって突き進む。対話の鮮度、能の魅力が漲っています。
子の死を知った母の言葉。「…生所を去って東のはての。道の辺の土となりて。春の草のみ生ひ茂りたる。此下にこそ有るらめや。」おお、梅も桜もありはしない。それでいてなんというなまめかしさ。桜の樹の下には屍体が埋まっている!梶井基次郎の下世話な雄叫びよりも、どれだけ身に染む嘆きでしょう。「さりとては人々此土を。かへして今一度。此世の姿を母に見せさせ給へや。」理不尽が常の現実には、理不尽をもって叫ぶが正直です。
そして終曲。その絶望的な結末。ほんとでしょうか?我が子と見えしは塚の上の。草茫々として唯。しるしばかりの浅茅が原と、なるこそあはれなりけれ、なるこそあはれなりけれ。草茫々の大地、浅茅が原を、愛し子の頭のように見やる優しき母が立ち尽くすのでなくて、どうして劇が終れよう。
いち観客として申します。この能、男の中にある母性を、あまねく繰り広げる能だと感じます。西村高夫さん、濁りたる世を、どうか明るく照らして下さい。
2008/6/21 第19回 響の会 パンフレット所収